鹿児島市出身のミュージアムプロデューサー砂田光紀さん逝去 英国留学生記念館立ち上げや古い建物の保全に力尽くす


学芸員、そしてミュージアムプロデューサーとして各地の博物館や美術館の設計・製作に携わった砂田光紀さんが4日62歳で亡くなりました。

鹿児島市出身の砂田さんは九州新幹線開業を機に、デザイナー水戸岡鋭治さんと共同で嘉例川など地域を生かすルートづくりで賑わいを広げ、いちき串木野市の薩摩藩英国留学生記念館立ち上げの際は、幕末の留学生の子孫を取材するなど、単なる「箱モノ」ではない歴史と文化の価値を形にしようと取り組みました。

番組でも去年、スタジオに登場頂きました。
19年前、砂田さんの代表的な著書「九州遺産」を元に取材した映像をご覧頂きます。

砂田光紀さん
「昭和初期に中学校校舎としてこれだけ格式ある建物を構造的にも立派なもの作ったのはそこにかけた情熱と言うか子供たちの教育の気持ちが非常に強かったことが分かる」

鹿児島市の県立甲南高校。
旧制二中の校舎として1930年に建てられました。
曲線で縁取られた廊下の高い天井にかつては、二中の生徒の下駄の音が響いたのでしょうか。

路面電車が鹿児島市交通局の車庫に帰ってきました。
木造の車庫が建てられたのは戦後間もない1949年でした。

広い敷地の隅にあったのは変電所です。
桜島の大正噴火の翌年1915年に改築されたこの建物を、砂田さんは高く評価していました。

砂田光紀さん
「凝灰岩を一つ一つ石工が手で削った痕跡、整然と積まれて洋風のアーチ、要石持ったアーチで入り口とても美しい石造りの建物」

周辺の景色は大きく変わりましたが、変電所は今もここにあります。

砂田さんは、この数年鹿児島市の貴重な木造建築旧藤武邸の保存を求めて中心的な役割を努めるなど、活動を続けていましたが今月3日、鹿児島市内の病院でがんのため亡くなりました。

62歳でした。
ご冥福をお祈りいたします。

 
「KKBみんながカメラマン」