戦闘機が落ちたのは学校のすぐそばだった 知覧特攻平和会館の学芸員が語り継ぐ戦争 鹿児島


 戦後80年、歴史を語り継ぐのが年々難しくなる中、南九州市の小学生がかつて戦闘機が墜落した校区の歴史を学びました。

 【知覧特攻平和会館・八巻聡学芸員】
「もう1機、アメリカの飛行機がついてきていて後ろの飛行機が打った弾が相川少尉の飛行機に当たりまして落ちてしまったんです」

 南九州市の清水小学校。この校区で起きた80年前の悲劇について語るのは知覧特攻平和会館の学芸員・八巻聡さんです。

 終戦間際の1945年6月3日日米の大規模な空中戦が行われていた薩摩半島上空で、24歳の日本兵相川治三郎少尉を乗せた戦闘機が墜落したのは、学校のすぐそばでした。地域の戦争の歴史を知ってほしいと八巻さんは6年生2人に特攻の歴史や戦争の悲惨さを伝えます。

 戦闘機が落ちた場所には、祈念碑がー。

 【清水小学校6年生・池崎ひよりさん】
「こういう近くの地域に石碑があるのは知らなかったからびっくりしてる。どういう理由があっても戦争とかで亡くなったりするのはあんまり良くないと思いました」

 【清水小学校6年生・大坪樹生さん】
「知覧に(戦争の歴史が)あるのは知ってたけど、ここでも戦争があったんだなと思った。戦争の苦しさとかを他の人にも教えてあげたりとか、家族に言ったりとかしていかないとだなと思います」

 2人の両親はもちろん。祖父母の代も、ほとんどが戦後生まれです。

 【知覧特攻平和会館・八巻聡学芸員】
「語り継ぐことへの危機感は非常にある。だけど誰かが語り継がないといけない。資料館で学ぶというのも1つの手だと思うんですが、だけれども戦争は日本全体であったので色々なところに色々な出来事があったはずですのでそれを地元の方々が拾って語り継いでほしい」

 
「KKBみんながカメラマン」