海江田順三郎さん(97)逝去 「タカプラ」元社長 日中友好に尽力 鹿児島
5日、97歳で亡くなった県日中友好協会の名誉会長で、高島屋開発の元社長・海江田順三郎さんの通夜が鹿児島市で執り行われています。
海江田さんは天文館にあった商業施設、タカプラを運営していた高島屋開発の元社長で、県日中友好協会の会長として長年、中国との経済・文化の交流に尽力しました。
関係者によりますと鹿児島市の病院に入院していましたが、5日朝、肺炎のため亡くなったということです。
鹿児島大空襲を経験している海江田さんは、長年、自身の体験を伝え平和への思いを語ってきました。
鹿児島市の吉田葬祭では今夜、海江田さんの通夜が執り行われています。長年、付き合いがあったという参列者の一人は、KKBの取材に「日中関係が冷え込む中でも、粘り強く日中の『糸』を切らせまいと尽力されていた。今はただ、ゆっくりと休んでもらいたい」と話しました。
なお、告別式は7日午前11時から執り行われます。
亡くなった海江田さんは、10年前、戦後70年を考えるKKBの特別番組に出演。その時、「戦争」について次のように話しました。
【海江田順三郎 さん】
「『戦争』っていろんな理屈をつけますが、いい戦争とか悪い戦争とか無いと思うんです。戦争ってのは避けなくちゃいけない、しちゃいけないことなんですね。ただ必ず「自衛のため」とか理屈をつけますけど、どういう理屈をつけても戦争しちゃいけない」
17歳で鹿児島大空襲を経験し、空襲で家を失った喪失感や戦争に突き進んだ日本の様子などを精力的に説いて回りました。
【海江田順三郎 さん】
「命からがら海岸へ逃げた。国を守るとか最近勇ましいことをいう(風潮などもあるが)戦争で国は守れない、絶対に」
「戦争の経済というのはマイナス、マイナス、破滅の経済です、再生産しない訳ですから。平和の経済は消費が生産につながる、また次の消費へ循環する」
生前、海江田さんが言い続けていた言葉は他にも―。
【県日中友好協会 鎌田敬 会長】
「いつも言われていたのは『日中の交流友好活動が最大の安全保障。だからこれを推進していかないといけない』と」
県や鹿児島市の日中友好協会の会長を長年務め、民間レベルの交流拡大に力を尽くした海江田さんから去年6月、バトンを受け取ったのが鎌田敬さん。
生前、海江田さんが、語っていたことは―。
【県日中友好協会 鎌田敬 会長】
「現在の状況が戦前に似ている。『新しい戦前』が始まったんじゃないか、こういう時だからしっかり民間交流をしていかないといけないと。とにかく若い人たちを交流させていきましょうという話をよくされていた。実際、若い人の交流は協会の活動でやっている」
未来を担う若い世代の交流を―。海江田さんが次世代に託した平和のバトンです。