西郷隆盛の息子・菊次郎は明治時代、日本統治下の台湾で宜蘭県の知事を1897年から4年半務めた。反日活動を行っていた土地の住民たちを説得し教育や治安の向上をはかっただけでなく、毎年はん濫していた川の治水工事に着手するなど近代化と発展の道筋を作った。地元では完成した堤防を「西郷堤防」と呼び、その功績をたたえる記念碑がいまも残る。また「西郷手毬唄」など感謝を残すものも少なくない。記念館で40年にわたってボランティアをつとめる李英茂さん(今年、旭日双光章を受章)は、「菊次郎は一言で表すなら宜蘭の恩人」だと語る。
菊次郎の孫にあたる西郷隆文さんは薩摩焼(黒薩摩)の伝統工芸士で、県薩摩焼協同組合の初代理事長として業界の発展に力を尽くしてきた。宜蘭から「縁の深い子孫にこの地で個展を開いてほしい」と打診を受けた隆文さんは去年に台湾を訪れ、作品展の開催を決めた。隆文さんが得意とするのは、器の内と外を板でたたき、究極まで薄く軽くしていく「たたき」と呼ばれる技法。師とあおぐ彫金家の帖佐美行さんからは「針を押すとパンと弾けるような、緊張感の塊のような作品を作れ」と教わった。弟の陶芸家・等さんとともに自身の独立直後から、新作まで約50点を携え、海を渡る。
鹿児島と週5往復の直行便でつながっている台湾で、作品展はおよそ2週間にわたって宜蘭と台北で開催。オープニングセレモニーには鹿児島からも隆文さんの支援者たちが駆け付けた。さらに西郷どんのひ孫に協力したいと申し出た台湾在住の日本人が会場で茶の湯を提供。多くの台湾人が薩摩焼の造形に見て触れて楽しんだ。さらに今回の作品展にあわせてシンポジウムや菊次郎の遺品の贈呈式も開かれた。台湾での交流を通して隆文さんが抱いた次の構想とは…
1981年 … 鹿児島県鹿屋市生まれ
2006年 … 瀧川鯉昇に入門
2010年 … 二ッ目昇進
2015、2017、2018年 … 渋谷らくご大賞 受賞
2020年5月 … 真打昇進予定
自分で作った落語しかやらないという奇妙奇天烈男。まだ名前のついてない感情をポップに笑いに変えるコイハチマジックは必見。瀧川鯉八を聴かずに死んではいけない。
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